三人目のことがあったので、気をつけていたのですが、妊娠31週目のある日、夕食に炭水化物を食べ過ぎたかなあ?と思い、夕方から近くの郵便局まで運動を兼ねて歩きに行きました。 その帰り、なんだかお腹の張りを感じました。でも、お腹が張ることは時々あったので、あまり深く考えていませんでした。 でも、その次の日、出血してしまいました。しかも、陣痛のような痛みまで! ということで、またオタワ市内の大きな病院に、子どもの肺機能を助けるための注射をしてもらいに行くことになってしまいました。ちょうど、エコー検査もあったので、一緒にしてもらうことに。 そのとき、すでに四人目に備えて二台目の車を買っていたので、自分で運転していくことに。旦那さんは、また検査の後、緊急入院になってはいけないので、仕事の後に病院に行くと言っていました。 その時点で、 「緊急入院になったら、車どうする気なんだろう?病院にずっと置いておけないのに、、、。」 と、思っていたのですが、何か考えがあるのだろうと聞きませんでした。 (これが後で、大変なことになるんですが、、、。) エコー検査中も、なんとなくお腹の痛みがあり、出血もあり。内診もしてもらった看護婦さんの話では、すぐには産まれそうにないだろうとのこと。 でも、エコー検査と注射を終えた時点で、まだお腹の痛みが少しあったので緊急受付の看護婦さんに話しました。その後、病院に来た旦那さんに、 私;「入院することになったら、車どうするの?」 旦那;「、、、。そういやどうしよう。いったん、家に運転して帰って、車一台 でまた戻ってくるしかないなあ。」 私;「えーーー!?」 結局、緊急受付の看護婦さんにお腹の痛みがおさまって来たので、一旦帰ると説明し、説得し、しぶしぶ許可をもらい、家に帰ることに。 こんな状況で家まで30分ほど運転して帰ることになってしまいました。(涙)
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正直、妊娠検査薬を試したとき、妊娠は半信半疑でした。そして、気持ちもうれしいと不安とが入り混じった複雑なものでした。。。 その後はじまった、いつもの辛いつわり生活。 その間、「もう自分の中で三人って決めていたのに、何で私は今つわりと戦っているのだろう。。。こんな気持ちで出産したら、何か辛いときにこの子を愛して上げられるだろうか。。。」 旦那さんに真剣にそんなことを相談していました。(今となっては、何て無意味な心配だったのかと、思うほどかわいくて仕方ありませんが(笑)。) とにかく、前回のように早く産まれないように、気をつけなければ。。。 産婦人科の先生にも言われていたので、出来るだけ無理はしないようにとは思っていたのですが、、、。 私の体は、最周期まで赤ちゃんを保てる力はなかったようです。 また、あわただしい出産体験となってしまいました。 少し話がそれてしまいましたが、ここでまた最後の出産体験談。 三人目を産んだ後、旦那さんとはこれで最後かなって話をしていました。 私の中では、そのころ色々な'気持ちが正直揺れ動いていました。。。 ここからは、私個人的な考えです。 そのときの私は、 子どもは三人 → そろそろ子育てに一旦区切りをつけて、今度は自分のために 時間を使うことを増やしていきたい。 もう年齢的にしんどくなってきたかなあ。。。 もう一人増えて四人 → もう一人ぐらい欲しいなあ。三人目が早く産まれて、な んだか中途半端な妊娠生活だったから、もう一回ぐらい 体験したい。 と、両方の気持ちがうずまいていました。そこに、義理の妹さんの「妊娠報告」。いいことなのに、なんだかうらやましくって素直に喜べない嫌な自分がいました。 でも、子どもが四人になると新しい車が必要になったりと、いろいろな面で大変になるだろうし、旦那さんも三人でって言ってたし。。。 結局、私には三人もいてくれるし十分幸せ。子どもは三人で、、、と気持ちの整理をしました。 ところが、奇跡的にも四人目を妊娠しました。しかも、妊娠した次の月は、旦那さんが「避妊手術」をする予定だったので、最後のチャンスでの妊娠でした。 生命の力強さはすごいと思います。小さな体で、本当にがんばってくれました。保育器の中で、何本ものチューブに繋がれたわが子。手のひらには、針を刺されて点滴をされていました。 「ごめんね。。。」 産まれてすぐに、こんなことになって申し訳ない気持ちで悲しかったのを今でも覚えています。 小さかったのですが、自分で肺呼吸することが出来、看護婦さんもよくがんばってると言って下さいました。 初めてわが子を抱くことが出来たとき、あまりの軽さに3人目とはいえ、すごく壊れそうで緊張しました。 赤ちゃんが産まれた今、私が出来ることは、母乳を与えてあげること。でも、これが最初の頃は大変でした。 赤ちゃんが小さいため、口から授乳は出来ません。搾乳して看護婦さんに渡します。それを、鼻からチューブを使って飲ませます。 搾乳機を借りて、搾乳をしましたが、何度やっても出てくるのは、1mlあるかないかの母乳。。。最初は、出にくいとはわかっていても悲しくなります。。。 結局、朝、出産し、次の日の夕方に退院するまで、3時間おきに搾乳しましたが、ほとんど出ませんでした。 赤ちゃんは、35週になるまで退院出来ません。赤ちゃんを残し、複雑な気持ちで帰宅しました。 次の日、旦那さんが子どもたちを連れて遊びに来てくれました。
義理の両親が来てくれたので、子どもたちのお世話は大丈夫なようですが、やっぱり子どもたちは寂しそう。。。 「いったいいつまで入院になるのだろう。。。」 そんな思いを抱えながら眠りに付いたその日の夜、おなかの痛みに気づきました。しばらく定期的にやってきたため、看護婦さんに連絡。陣痛の始まりです。 痛みを感じてから、1時間後ぐらいに分娩室に移動。 今回は、何を言われても「自然分娩」を希望していたので、看護婦さんが無痛をすすめても頑なに断りました。 陣痛が始まってから、4時間ぐらいが経過。 「もうすぐ産まれそうだから、誰か立ち会って欲しいなら、今連絡して」 と言われ、すぐに携帯で旦那さんに連絡。 片道、車で40分ほどの道のりをビュンビュン飛ばしてきてくれました。 だんだんと赤ちゃんが下に動く感覚を、3人目にして初めて感じることが出来、陣痛から約5時間後、小さかったのでスルッと産まれました。1850gの女の子の誕生です。 前回、お話した注射ですが、2回24時間あきでする必要があります。しかも、これ「おしり」にされます。
筋肉注射みたいで、めちゃめちゃ痛い!!動けば痛い。座れば痛い。 帰りの車の中でもしばらくは痛かったです。でも、赤ちゃんのため。そんなことは言ってられません。。。。。 次の日も出血は止まらず。しかも陣痛のような痛みまで。旦那さんが帰ってくるのを今か今かという思いで過ごし、夜に病院へ。 診察の結果、まだ子宮口は1.5cmほど開いたまま。注射に加え、陣痛のような痛みがあったり止まったり。そのまま入院することになってしまいました。(涙) 旦那さんが、両親に電話して、すぐにわが家に来てくれることに。本当にいつもいつも助けてもらっています。感謝でいっぱいです。 いつまで続くか分からない入院生活の始まり。しかも、出産を予定していた病院では、早く産まれた赤ちゃんのための設備が整っていないために、救急車で別の病院に行くことに。 こどもたちは寂しそうでしたが、仕方ありません。いつまで続くか分からない入院生活に、 「早く産まれて、出来るだけ早く家に帰ってあげたい」 という気持ちと、 「35週まで産まれなければ、問題も少なく赤ちゃんもそのまま私と一緒に家に連れて帰ってあげることが出来る。35週まで産まれないで」 という気持ちが、交差。。。 はじめての救急車の中で、ぐるぐるといろんな気持ちがよぎっていました。 三人目は、妊娠途中で引越しをしたため、新しい土地で新しい産婦人科の先生を見つけることからはじまりました。幸い、近くに(とは言え、その頃車が1台しかなかったので、片道20分ほど歩きました。)産婦人科の先生がおられ、診てもらえることになりました。
とても順調な妊娠生活だったのですが、妊娠33週目、朝トイレに行くと出血していました! 「えっ!?おしるしにしては早すぎるし、赤ちゃんに何か問題???」 とても不安ですぐに産婦人科に電話。その日の午後診察してもらえることに。 診察の結果、子宮口が1cm~1.5cmほど開いていることが判明。先生の勧めで、もしも早く産まれた時、赤ちゃんの肺機能を助けるための注射をすることになりました。 診察時に、「とにかく安静に」と言われましたが、歩いて受診に行ったため、歩いて帰るしかありません。とにかくゆっくり歩くことを心がけ、2倍の時間かけて家までたどり着きました。 安静にと言われても、家にいると難しいですよね。。。とにかく、旦那さんに連絡し、注射はオタワ市内の大きな病院に行かなくてはいけないので、夜まで不安をかかえながら待っていました。 前回の記事でデイケアの話を少ししましたが、こちらontario州のデイケア事情。 日本の保育園がどれぐらい費用がかかるかわかりませんが、私には高いイメージです。というのも、1日$50前後かかるからです。 1週間で$250、1ヶ月だと$1000以上かかることになります。もちろん収入によってその費用が変わってきます。 一番上のお兄ちゃんがお世話になっていたとき、旦那さんは学生+パートで働き、私はパートの仕事。収入はあまり高くなかったので、一日数ドルほどで済みました。 今はそういうわけにはいきません。しかも上の値段は一人分。4歳になる年から学校に行くとはいえ、学校の前後もお世話になるとすれば、少なくても$3000以上かかるのでは、、、と思います。 そんな費用をかけて仕事に出ても、収入はデイケア代になること間違いなし。わが家ではデイケアを利用して仕事にでる意味がないです。。。 ということで、私は二人目が産まれてから専業主婦になりました。 わが家はこの選択肢を選びましたが、それも各家庭それぞれだと思います。 |
Authorカナダで、4人の子育て奮闘中。海外生活のあれこれを綴っています。 Categories
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