本当に、色々体験させていただきました。(苦笑)分娩だけでも、無痛に帝王切開、自然分娩。 早産に、妊娠糖尿病。そういえば、四人目の時は、静脈瘤が足首に出来て、旦那さんに気持ち悪がられました。。。 それから、四人目の時、夏に日光を浴び(日焼け止めを塗っていましたが)、浴びた部分が湿疹でかゆくて大変でした。おかげで、その夏はずっと長袖生活。プールや湖に入るときも長袖の服に、ハーフパンツと長いソックスで入ってました。(そこまでして入らなくても、、、って言われそうですね(笑)) 出産後も、胸のしこりで痛かったり、乳首が切れて激痛の授乳だったり。 早く産まれた三人目と、四人目は搾乳して、病院に届ける通院をしばらくしました。最初は、ポンプ使ってましたが、そのうち手で絞るほうが効率的だと分かり、その後は手で搾乳。おかげで押す部分が赤くなってました。 三人目は、小さかったので退院後も粉ミルクと母乳を混ぜて授乳する必要があり、粉ミルクで授乳されている方は、本当に大変だと思いました。 色々、大変なこともありますが、「あと5歳若かったら、まだ一人か二人欲しいなあ」って思います。でも、次、妊娠したらそれこそ、もっと早く産まれそう!?
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わが家では、女の子は私が、男の子は旦那さんが名前を考えることになっていました。女の子はわりとフランス語でも日本語でも響きがいい名前を見つけやすいのですが、男の子は本当に難しかったです。 そんな中、考えて決めた四人目の男の子の名前。でも、ある日、変更することに。。。 旦那;「四人目の名前、考え直そう。。。」 私;「何で???違う名前考え付いた?」 旦那;「テレビ見なかった?その名前の人が、ルームメートを殺害して捕まっ たって。」 私;「えー!?縁起悪いから止めておこうか。。。」 しかも、かなりの奇行だったので、その名前にする気になれませんでした。 そして、かなり苦労して考えた二つ目の名前。 陣痛が始まって、別の病院に移送されるときに、救急士さんとお話したのですが。。。 救急士A;「もう、名前は決めたの?」 私;「はい、〇〇にしようと思ってます。」 救急士A;「へー、そういえば、その名前、映画で見た殺人鬼の名前と同じ」 私;「・・・・・。」 これから産まれてくるわが子を楽しみに待っている母親に言う言葉か!!と思いましたが、あまりの一言に言葉が出てきませんでした。それを聞いていたもう一人の救急士さんも、一瞬凍りついていましたが、 救急士B;「そうそう、僕も早く産まれて小さかったんだ。でも、病気もしないし 元気だし、きっと産まれてくる子も大丈夫だよ!!」 って、フォローしてくれてました。(苦笑) 結局、二つ目に選んだ名前をつけましたが、名前負け(?)せず、素敵な人になってくれますように。。。 前回も、救急車で移送されましたが、そのときはサイレン無し、普通の車と同じスピードで、救急士の方と、話をしながらでした。
でも今回は違います。サイレンを鳴らし、他の車を追い越し、しかもお医者様と看護師さん付き。 「私、もしかして救急車の中で出産しちゃう!?」 そんなことを考えると泣きそうになってしまいました。。。 何とか病院にたどり着き、すぐに分娩室へ。 看護師さんが、早産について色々お話してくださるのですが(きまりだとは思いますが)、陣痛でそれどころではありません。ましてや、母国語ではないので半分ぐらいしか頭に入らず。。。 その後、看護師さんたちが、少し離れて話をしている間に、破水。 「破水しました。。。」 と、言ったんですが聞こえなかったみたいで、少しして気づいた看護師が慌ててお医者様を呼びに。 お医者様が来たときには、すでに頭半分出てました。結局、看護師さんに助けられ、陣痛から約5時間後、無事に2100gの男の子を出産しました。 四人目、結局一人で出産。出産後、家に携帯で電話し家族に報告。電話の向こうからみんなの喜んだ声が聞こえてきました。 車を運転し始めて10分ぐらいした頃、おなかに痛みを感じ始めました。 「えっ!!よりによってこんなときに!!」 高速を運転中。止まるわけにもいかず、ましてや携帯で前を走る旦那さんに電話する余裕もなく。とにかく陣痛の感覚を計測することに。 最初は5分間隔ほどでした。毎回、次の陣痛を感じるたびに、早く来ないで!!と祈るような気持ちでした。 でも、それも通じず、運転開始から20分過ぎた頃には3分間隔に。すごく焦りました。運転にもあまり集中出来ずで、よく無事に家にたどり着けたものです。 何とか家にたどり着いたものの、これから同じ距離を戻らなくてはいけません。もしもに備えて、ゴミ袋を助手席に敷いて乗り込みました。 旦那;「えっ!!そんなやばい???間隔どれくらい?」 私;「・・・・・3分。。。」 めちゃ焦ってました。とは言え、こども3人を乗せての運転。安全第一です。 無事に病院にたどり着き、緊急受付に。すぐにベッドに横になり、パットをお腹につけられ、陣痛の確認。 それから、内診をしてもらったりしながらしばらく待ち、やはり産まれそうと言う事で、3人目を出産した病院へ移送されることになりました。 三人目のことがあったので、気をつけていたのですが、妊娠31週目のある日、夕食に炭水化物を食べ過ぎたかなあ?と思い、夕方から近くの郵便局まで運動を兼ねて歩きに行きました。 その帰り、なんだかお腹の張りを感じました。でも、お腹が張ることは時々あったので、あまり深く考えていませんでした。 でも、その次の日、出血してしまいました。しかも、陣痛のような痛みまで! ということで、またオタワ市内の大きな病院に、子どもの肺機能を助けるための注射をしてもらいに行くことになってしまいました。ちょうど、エコー検査もあったので、一緒にしてもらうことに。 そのとき、すでに四人目に備えて二台目の車を買っていたので、自分で運転していくことに。旦那さんは、また検査の後、緊急入院になってはいけないので、仕事の後に病院に行くと言っていました。 その時点で、 「緊急入院になったら、車どうする気なんだろう?病院にずっと置いておけないのに、、、。」 と、思っていたのですが、何か考えがあるのだろうと聞きませんでした。 (これが後で、大変なことになるんですが、、、。) エコー検査中も、なんとなくお腹の痛みがあり、出血もあり。内診もしてもらった看護婦さんの話では、すぐには産まれそうにないだろうとのこと。 でも、エコー検査と注射を終えた時点で、まだお腹の痛みが少しあったので緊急受付の看護婦さんに話しました。その後、病院に来た旦那さんに、 私;「入院することになったら、車どうするの?」 旦那;「、、、。そういやどうしよう。いったん、家に運転して帰って、車一台 でまた戻ってくるしかないなあ。」 私;「えーーー!?」 結局、緊急受付の看護婦さんにお腹の痛みがおさまって来たので、一旦帰ると説明し、説得し、しぶしぶ許可をもらい、家に帰ることに。 こんな状況で家まで30分ほど運転して帰ることになってしまいました。(涙) 生命の力強さはすごいと思います。小さな体で、本当にがんばってくれました。保育器の中で、何本ものチューブに繋がれたわが子。手のひらには、針を刺されて点滴をされていました。 「ごめんね。。。」 産まれてすぐに、こんなことになって申し訳ない気持ちで悲しかったのを今でも覚えています。 小さかったのですが、自分で肺呼吸することが出来、看護婦さんもよくがんばってると言って下さいました。 初めてわが子を抱くことが出来たとき、あまりの軽さに3人目とはいえ、すごく壊れそうで緊張しました。 赤ちゃんが産まれた今、私が出来ることは、母乳を与えてあげること。でも、これが最初の頃は大変でした。 赤ちゃんが小さいため、口から授乳は出来ません。搾乳して看護婦さんに渡します。それを、鼻からチューブを使って飲ませます。 搾乳機を借りて、搾乳をしましたが、何度やっても出てくるのは、1mlあるかないかの母乳。。。最初は、出にくいとはわかっていても悲しくなります。。。 結局、朝、出産し、次の日の夕方に退院するまで、3時間おきに搾乳しましたが、ほとんど出ませんでした。 赤ちゃんは、35週になるまで退院出来ません。赤ちゃんを残し、複雑な気持ちで帰宅しました。 次の日、旦那さんが子どもたちを連れて遊びに来てくれました。
義理の両親が来てくれたので、子どもたちのお世話は大丈夫なようですが、やっぱり子どもたちは寂しそう。。。 「いったいいつまで入院になるのだろう。。。」 そんな思いを抱えながら眠りに付いたその日の夜、おなかの痛みに気づきました。しばらく定期的にやってきたため、看護婦さんに連絡。陣痛の始まりです。 痛みを感じてから、1時間後ぐらいに分娩室に移動。 今回は、何を言われても「自然分娩」を希望していたので、看護婦さんが無痛をすすめても頑なに断りました。 陣痛が始まってから、4時間ぐらいが経過。 「もうすぐ産まれそうだから、誰か立ち会って欲しいなら、今連絡して」 と言われ、すぐに携帯で旦那さんに連絡。 片道、車で40分ほどの道のりをビュンビュン飛ばしてきてくれました。 だんだんと赤ちゃんが下に動く感覚を、3人目にして初めて感じることが出来、陣痛から約5時間後、小さかったのでスルッと産まれました。1850gの女の子の誕生です。 前回、お話した注射ですが、2回24時間あきでする必要があります。しかも、これ「おしり」にされます。
筋肉注射みたいで、めちゃめちゃ痛い!!動けば痛い。座れば痛い。 帰りの車の中でもしばらくは痛かったです。でも、赤ちゃんのため。そんなことは言ってられません。。。。。 次の日も出血は止まらず。しかも陣痛のような痛みまで。旦那さんが帰ってくるのを今か今かという思いで過ごし、夜に病院へ。 診察の結果、まだ子宮口は1.5cmほど開いたまま。注射に加え、陣痛のような痛みがあったり止まったり。そのまま入院することになってしまいました。(涙) 旦那さんが、両親に電話して、すぐにわが家に来てくれることに。本当にいつもいつも助けてもらっています。感謝でいっぱいです。 いつまで続くか分からない入院生活の始まり。しかも、出産を予定していた病院では、早く産まれた赤ちゃんのための設備が整っていないために、救急車で別の病院に行くことに。 こどもたちは寂しそうでしたが、仕方ありません。いつまで続くか分からない入院生活に、 「早く産まれて、出来るだけ早く家に帰ってあげたい」 という気持ちと、 「35週まで産まれなければ、問題も少なく赤ちゃんもそのまま私と一緒に家に連れて帰ってあげることが出来る。35週まで産まれないで」 という気持ちが、交差。。。 はじめての救急車の中で、ぐるぐるといろんな気持ちがよぎっていました。 三人目は、妊娠途中で引越しをしたため、新しい土地で新しい産婦人科の先生を見つけることからはじまりました。幸い、近くに(とは言え、その頃車が1台しかなかったので、片道20分ほど歩きました。)産婦人科の先生がおられ、診てもらえることになりました。
とても順調な妊娠生活だったのですが、妊娠33週目、朝トイレに行くと出血していました! 「えっ!?おしるしにしては早すぎるし、赤ちゃんに何か問題???」 とても不安ですぐに産婦人科に電話。その日の午後診察してもらえることに。 診察の結果、子宮口が1cm~1.5cmほど開いていることが判明。先生の勧めで、もしも早く産まれた時、赤ちゃんの肺機能を助けるための注射をすることになりました。 診察時に、「とにかく安静に」と言われましたが、歩いて受診に行ったため、歩いて帰るしかありません。とにかくゆっくり歩くことを心がけ、2倍の時間かけて家までたどり着きました。 安静にと言われても、家にいると難しいですよね。。。とにかく、旦那さんに連絡し、注射はオタワ市内の大きな病院に行かなくてはいけないので、夜まで不安をかかえながら待っていました。 出産後、しばらくは麻酔のせいで下半身は動かせず、また痛みもあるのでトイレもベッドの上。
しばらく痛み止めを服用していたのですが、久しぶりに起き上がることが出来たとき、自分の脚を見てびっくり!! 「これぞ、まさに象の足!!!」 私、脚がむくみやすいんですが、そのいつものむくみの2倍はむくんでしまっているのを見て、かなりのショック!!を受けました。 こんなに太くなるものなの、、、(涙)このままだったらどうしよう、、、と思いましたが、無事元に戻りました(ホッ) そして、もうひとつ。しばらくぶりにベッドから起き上がってトイレに行きました。産後初めて大きいほう(恥)がしたくなって行ったんですが、、、 そのとき、ちょっと力んだんです。そしたら、、、 頭に激痛!!痛ーーーーーーーい!!!!!! はっきり言って、死ぬかと思いました。それぐらいかなり激しい痛みだったんです。 後で知ったのですが、麻酔の後、頭を動かすとそういうことが起きることもあるらしい。事前に知っていれば、絶対動かさなかったのに、、、。 まあこれもすぐに治ってよかったですが、、、体験したくない出来事でした。 |
Authorカナダで、4人の子育て奮闘中。海外生活のあれこれを綴っています。 Categories
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December 2016
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